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Feature|2017.06.21

Into the life of a woman /
Kanako Nishi

女性の人生に寄りそう服

「女性の人生に寄りそう服」をテーマとして、
輝く女性の方々に執筆いただく連載企画
第5回目は、小説家 西 加奈子さんの
ショートエッセイ第二弾をお届けします。
掲載期間:6/21(水)~7/25(火)

vol.05

変わってゆくこと

 今年40歳になった。
 さらりと書いているけれど、正直驚いている。だって40歳だ。30歳になったときとは全然違う気がする。「20代が終わる」という焦りの延長に30代がやって来たのに対して、今回は「30代が終わる」という感慨よりも明らかに「40代が始まる」、その「始まり」の感じが強い。「終わりの始まり」とでもいおうか。

 女性としての終わりとかそんなどうでもいいことではなく、動物として「次のフェーズ」に入ったという感じだ。からだの変化を感じるし、心の変化も感じる。冷えたらてきめんに体調が悪くなるし、夜10時くらいになると眠たくなるし(朝まで飲んでいたなんて信じられない!)、お花や木を見るのが本当に好きになったし、美しい仏像を見るとありがたくて泣いてしまう(そして手を合わす)。
 同時に、自分のあまりの変わらなさに驚いてもいる。自分が幼い頃、そして若い頃想像していた「40代」と自分があまりにもかけ離れていることに愕然としているのだ。

 例えば私が小さな頃の40代は、正直もう立派な「おばさん」だった(敬意をこめて!)。くるくるのおばさんパーマをしている人もいらしたし、外に出るのにエプロンをしている人もいらしたし、お洋服はきちんと「おばさんの服」売り場で売っているようなものを着ていらした(そもそもデパートにそういうフロアがあったのだ、今もある?)。
 でも私は、いつまでたっても「おばさん」になれずにいる。もちろん無理してそうなる必要はないし、自分が心地いいのが一番だけど、お洋服を選んでいてふと、「こういう服、いつまで着てていいの?」と思うときがある。

  私が思うに、40代ってお洋服のボーダーな気がする。50代、60代、70代の先輩方を見ているとお洒落を思い切り楽しんでいらっしゃるなぁと思う。ピンクや花柄を堂々と着ておられるし、フリルだってレースだってフレアスカートだって、着たいものを好きに着る、ということに徹底されていて格好いい。フューシャピンクのコートに真っ白い髪をした先輩を見たときはついてゆきたくなるほど素敵だったし、クラシカルで繊細なレースには細い皺が似合うし、美しい宝石のついた指輪だって、若い皮膚より年月を経た皮膚の方が絶対にしっくりくる。

 でも40代は、「まだそこまで到達できない」けれど「もちろん若くない」という境界線にあるように思う。白髪と似ているかも。染めるほどではないけれど、でも明らかに増えてきた、いっそ真っ白になれたら素敵なのに、そんな感じだ。友人たちに聞いても皆ピンクを躊躇しているし、すごく綺麗な脚をした友人も膝上のスカートははかなくなった。それで集まると、黒やグレーやネイビーの、からだを隠したなんだか無難な服を着ている集団、ということになってつまらない。


 その一方で、若い頃は似合わなかったけれど、この年になったから似合うものも出てきた。私の場合は白いシャツだ。20代、30代(特に前半)は、白いシャツがまあ似合わなかった。ロマンティックなものなんて論外で、メンズライクなシンプルなシャツもだめ。私が着るとなんだか「深刻」になるのだ。なんていうか、独自の宗教を信奉していそうな感じというか…。

 でも、30代の後半から、白いシャツが好きになった。顔の筋肉が下がって表情が柔らかくなったからだろう。首元の皺も良い感じだし、くたびれてきた皮膚にもなじみがいい。他には光沢のあるパールもそうだし、クラシカルなトレンチコートもそうだし、鮮やかなスカーフもそうだ。

 着ることができなくなったものももちろん多いけれど、こうやって新しい発見があるのは嬉しい。1年後、10年後、20年後、私は若い頃の私が思いもしなかったお洋服を着ているかもしれない。そう思うと年を取るのが嬉しい。お洋服は、思いがけない喜びを私たちにもたらしてくれるのだ。いつだって。

profile

西加奈子 / Kanako Nishi

1977年、テヘラン生まれ。カイロ、大阪で育つ。2004年『あおい』でデビュー。
07年『通天閣』で第二四回織田作之助賞、13年『ふくわらい』で第一回河合隼雄物語賞、15年に『サラバ!』で直木三十五賞を受賞。その他の著書に『うつくしい人』『漁港の肉子ちゃん』『まく子』『まにまに』『i』など多数。

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