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Feature|2017.05.24

Into the life of a woman /
Mariko Ogata

女性の人生に寄りそう服

「女性の人生に寄りそう服」をテーマとして
輝く女性の方々に執筆いただく連載企画
第4回目は、コピーライター 尾形 真理子さんのショートストーリー「ビタミン縫子:後編」をお届けします。
掲載期間:5/24(水)~6/20(火)

前回までのあらすじ 地元の女子校で、生物を教える椎名縫子。43歳と5ヶ月。
制服のように白衣を羽織る毎日に、彼女は満足していた。けれど……。 (前編はコチラ)

vol.04

ビタミン縫子:後編

 縫子はレモンをひとつ手に取ってみた。無農薬をうたった八百屋さんのそれは、ちょっとゴツゴツしていて、あざやかな黄色ではない。
「これ、皮までうまいんですよ」
 大学生くらいのひょろりとした青年が、ぽつりと言った。はじめて見る顔だった。このお店の息子さんなのだろうか。夏を迎える前だというのに、すでに日に焼けている。
「レモンのビタミンやβカロテンは果汁より皮に豊富なんです。なのにみんな平気で捨てている」
 心の底からもったいないという気持ちが湧き出た、口をとがらせるような表情だった。若いのに真剣なんだ、と縫子は思った。いや、若いから真剣なのか?
「レモンがお好きなんですか?」
 縫子の口から出たのは、とんちんかんな質問だった。青年も面食らったようで、少々頬を赤らめはにかんだ。
「いや、すいません。俺が作ってるんで。今日はおやじさんに頼まれて、ここ手伝っているんです」

 持ち帰った20個のレモンは母親を驚かせたが、縫子はダイニングテーブルの上にひとつひとつ並べてみた。同じカタチのものはひとつもない。見かけはどれもあれだし、なめらかな手触りでもないが、香りは清くあざやかだった。この黄色い果実にあるビタミンを、まるごとぜんぶ食べたいと縫子は思った。人間の体内では、決して作ることのできない物質。
 光に弱い。水に弱い。酸素に弱い。熱に弱い。
 諸説あるがゆえに、どうやったら変質させず摂取できるのだろう。しかもこれだけの量だ。あの青年に聞いてみれば良かったなと、日に焼けた顔を思い返したとき、縫子は急に粟立つような感覚を覚えた。
 彼はサプリメントを育てたわけではない。
 酸っぱくて、爽やかな、レモン。
 わたしは一体何を怖がっているんだろうかと、レモンをじっとみつめていた。

「はーい。今日は小テストをします」
 女子高生というのは、文句を言うのも、どこか楽しそうに聞こえる。
「センセー、聞いてなーい!」
 という声があちこちで上がった。
「授業を聞いていた人なら楽勝だよ」
 縫子はテスト用紙を配りながら、生徒たちの不安そうな視線をくすぐったく感じていた。
 生徒たちの大半は大学で文系に進み、理系を志望する生徒であっても、物理を選択する者が多数派だ。生物とは「生命がどう在るのか」を知るための学問。だからこそ縫子はこの大きすぎる問いに対して、きっかけとなるべくものを伝えたいと思っていた。彼女たちが生涯を通じて、自分の頭で考えることができるように。
 教室の窓からは、遠くに山々が見える。その緑が濃くなってきた様子を縫子はそっと眺める。ついこのまえ桜が咲いたと思ったら、もう初夏の色合いだ。繰り返す季節の変化は毎年のもの。そしてそこには無数の生命がある。

 人間の生存に必須でありながら、体内で作ることができない物質をなんというでしょう。

 今日の小テストの問いではあるが、その答えは本当にビタミンだけなのだろうか?縫子は一年いちねんを繰り返し、老いていく女体を恐れ、若さに執着する女心を恐れていた。いつからか、自分をみつめることを恐れていた。
 自分がどう在るのか。
 それこそが、いちばん難しい生物の問題なのかもしれないと、チャイムが鳴るまで縫子は考えていた。

帰り道に八百屋さんを覗いたら、例の青年がレジに立っていた。夕食の買い物をする客の邪魔にならないように、縫子は店先でちょっと待った。
「先日のレモン、おいしかったです」
 彼は先週より、さらに日に焼けたように見える。笑うとくっきりとしたシワが顔中に刻まれる。
「あんなに買ってもらっちゃって、どうしたかなって気になってたんですよ。ずっと」
「ピーラーで皮を剥いて、蜂蜜漬けにして、塩レモンも作って、いくつかはそのまま食べちゃいました」
「すげー。いや、でもレモンって、そのままでも十分うまいんですよね」
「皮は……」
「やっぱりちょっとアレでしたか。まーうちのは見た目がいまいちだしなぁ」
「皮は、ぜんぶリモンチェッロに」
 縫子がそう言った瞬間に、彼は握手を求めてきた。
 リモンチェッロ。イタリアのカプリ島周辺で生まれたお酒は、無農薬の良質なレモンでしか作れない。アルコール度数が96度もあるスピリタスウォッカで、レモンピールを漬け込むもので、だいたい1ヶ月後、夏のはじめに完成予定だ。
「最高じゃないですか」
 ぶんぶん腕を振りながら、彼は果樹園の名前を教えてくれた。

 レモンの花は、やわらかな甘い匂いがするらしい。果実はあんなに酸っぱいのに不思議なものだ。まだまだわたしは知らないことばかりだと、縫子は思った。初夏のレモン畑は、水色のサマードレスが似合うかもしれない。
 明日は、白衣を脱ごう。
 クローゼットの中にあるビタミンカラーの洋服を着てみようと縫子は思った。

profile

尾形 真理子 / Mariko Ogata

1978年生まれ。コピーライター/クリエイティブディレクター。LUMINE、資生堂、東京海上日動あんしん生命、Tiffany&Co.、キリンビール、日産自動車などの広告を手がける。TCC賞、朝日広告賞グランプリ他、受賞多数。『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』(幻冬舎文庫)を出版。

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